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大阪地方裁判所 昭和37年(ワ)3099号 判決 1967年3月30日

原告 亡神野キク承継人 神野澄子

原告 亡神野キク承継人 井沢美智子

右両名訴訟代理人弁護士 能勢喜八郎

被告 西村朝尾

被告 西村敏晴

右両名訴訟代理人弁護士 河合伸一

右復代理人弁護士 河合徹子

同 岸田功

主文

原告等の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

(当事者双方の申立)

第一、原告等の申立

被告西村朝尾は原告等に対し別紙物件目録(一)記載の建物を明渡し、昭和三七年二月一日以降右明渡済に至るまで一ヶ月につき、金四、五〇〇円の割合による金員を支払え。

被告西村敏晴は原告等に対し別紙物件目録(二)記載の建物を収去してその敷地約三九、六六平方メートル(約一二坪)を明渡せ。

訴訟費用は被告等の負担とする。

との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求める。

第二、被告等の申立

主文と同旨の判決を求める。

(当事者双方の主張)

第一、原告等主張の請求原因

一  (一) 別紙物件目録(一)記載の建物(以下(一)の建物という)は枚方遊廓内の貸座敷として建築された原告等所有のものである。

枚方遊廓は明治四二年頃、枚方町(現枚方市)泥町にあったが後淀川堤防上(桜新地)に移転した。そして移転した業者二〇名は原告等の先々代神野伊三郎(以下伊三郎という)を組合長として同業者組合を結成した。大正年間に至り桜新地の遊廓指定地に空地が多分にあったので右組合は(一)の建物を含む三棟(四戸)の建物を建ててそれぞれの業者に賃貸したのであるが、その際被告西村朝尾(以下朝尾という)の夫の養父西村由治良(以下由治郎という)が右組合から(一)の建物を賃貸し、そこで「大よし」の家号で貸座敷営業をするようになった。ところで大正一一年右組合は整理することになり、その整理資金に充てるために右各賃貸建物を各賃借人に売却することになったのであるが、右由治良が買受ける意思がなかったので右伊三郎が代ってこれを買取り、後原告等の先代神野キク(承継前原告、以下キクという)が相続し、更に右キクが昭和三八年九月一九日死亡したので原告等が相続によりその所有権を取得した。

(二) 右伊三郎が(一)の建物を買取った後は、由治良(昭和八年二月二日死亡)、その妻ふた(同二五年一一月一〇日死亡)、続いて被告朝尾が右(一)の建物を伊三郎ないしその相続人から賃借して貸座敷業を営んでいた。

(三) ところで被告朝尾は売春防止法の施行に伴い昭和三三年頃右貸座敷営業を廃止し、その後被告朝尾は長男被告西村敏晴(以下敏晴という)とともに(一)の建物に居住しながらその建物の一部を他人に間貸しするようになったのであるが、キクは被告等が(一)の建物に居住しているので広い建物のことであるから右間貸しを黙認していたところ、被告両名は昭和三五年頃(一)の建物から大阪市南区上汐町二丁目四〇番地に転出して同所において旅館を経営し、右(一)の建物に全く居住しなくなった。そして右建物には数世帯の者が被告朝尾から賃借居住している。

しかしながら原告等としては被告朝尾の右のような転貸を許容することができない。

本件建物附近一帯は四〇戸の広大な旧貸座敷の木造建物が並んでおり、その中に本件家屋以外に借家が六戸あるが、いずれも賃借人自ら建物に居住して、下宿業、料理屋、貸席等の営利方法を講じている。しかるに被告朝尾は右賃借建物から転出して他人に転貸し、多数世帯の転借人は各自勝手に部屋を使用し、共同炊事場もなく自炊しているため失火の危険が大きく、かつ転借人の移動がはげしいので家屋の小修理清掃その他管理が行き届かず建物の朽廃を早めている。ちなみにキクは転借人が電灯の安全装置に太い銅線を使用しているのを発見し、ヒューズに取替えさせた事実もある。キクが被告朝尾の間貸を黙認したのは被告朝尾が建物を直接管理しながら余剰の部屋を貸すことを認めたのであって、被告朝尾が他地方に転居してしまった後、被告朝尾に転貸家賃を得させるために賃貸借を継続する意思はキクには全くなく、被告朝尾の右転貸行為は賃貸借契約違反であり、賃貸借契約の基礎である信頼関係を損するものである。

(四) そこでキクは被告朝尾に対し昭和三七年一月三〇日付内容証明郵便をもって右転貸を理由に(一)の建物の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、その頃、被告朝尾に右書面が到達したので右賃貸借契約は解除された。

二、仮りに右契約解除の主張の理由がないとすれば、原告等は予備的に次のとおり主張する。

原告等には借家法第一条の二に規定する正当事由があり、本訴により黙示的に被告朝尾に対し解約の申入れをし、その効力が生じた。

即ち原告等は昭和三八年九月一八日キクの死亡した後生活を共にしているのであるが、共に独身で僅かの家賃収入により生計を立てているので、(一)の建物の返還を受けることができれば収益の少ない原告等は生計上大いに潤うことになる。これに対し被告朝尾は大阪市天王寺区上汐町二丁目四〇番地に土地建物を所有し、盛大に旅館業を営み、(一)の建物を使用する必要はなく、又右建物を転貸することによって得られる被告朝尾の収益も僅かであって旅館業の収益に比し微々たるものである。正当事由の存否は当事者双方の事情を考慮して何れに多くの理由が存するかによって決せられるべきものであるところ、右のとおり原告等は被告朝尾に比し右建物を必要とする度合が大きいから原告等に正当事由が存するものといわなければならない。ところで本件のように昭和三七年五月以来明渡訴訟が継続している場合には黙示的に解約の申入れがなされたものと推認すべきであるから正当事由の生じたときから六ヶ月を経過したときに右(一)の建物に対する賃貸借契約について解約の効力が生じたものというべきである。

三、別紙物件目録(二)記載の建物(以下(二)の建物という)は由治良が原告所有の(一)の建物の敷地内に伊三郎に無断で建築したもので、現在被告朝尾の長男の被告敏晴に保存登記され、その所有となっており、(一)の建物と同様他人に間貸しされている。

四、よって原告は被告朝尾に対し(一)の建物の明渡と本件契約解除の後である昭和三七年二月一日から右明渡済に至るまで一ヶ月金四、五〇〇円の割合による家賃相当の損害金を、被告敏晴に対し敷地の所有権にもとづき(二)の建物の収去とその敷地の明渡を求める。

なお被告等の抗弁は全部争う。

第二、被告等の答弁と抗弁

一、請求原因一について

(一)の建物において由治郎が、次いでふたが、その死亡後被告朝尾が貸座敷業を営んでいたが、昭和三三年三月頃売春防止法の施行により廃業し、その建物を他人に間貸ししたこと、大阪市南区上汐町において旅館を経営していることは認めるが、その余の事実は争う。

(一) 桜新地の遊廓は明治四二年頃にできたものであるが(一)の建物はその頃、同新地内に貸座敷として建築され、由治良、その妻ふた、被告朝尾が最近まで貸座敷業を営業してきたものである。右(一)の建物およびその敷地を含む同新地内の土地建物は殆んど当初は同新地の同業者組合の所有であったが、右組合に法人格がなかったため右敷地の登記簿上の名義は伊三郎になっていた。ところで右新地内の各業者はいわゆる花代の中から一割を右組合に積立ててこれをもってそれぞれの土地建物の代金を支払うことになっており由治良も初より花代の一割を組合に納入して積立てていたのであるが、大正一〇年頃右積立金が一応の金額に達したので整理することになり、右組合から由治郎に対し(一)の建物とその敷地について半額を右積立金をもって充当し、半額の金三、〇〇〇円を右組合に支払えば右由治良名義にしようという話があったけれども右由治良がその支払をすることができなかったところ、右伊三郎は「自分のものにしておく」といったのでその後同人に対し賃料を支払うようになった。しかしながら右伊三郎が右金三、〇〇〇円を支払ったかどうかは知らない。以上のとおりであるから(一)の建物とその敷地の所有権の二分の一は由治郎、従ってその相続人である被告敏晴のものであり、その余の部分も原告等の所有であることは争う。

(二) 桜新地の貸座敷業者は売春防止法の施行により従来の営業が続けられなくなったのでキクを含む同業者が集り相談した結果下宿街として更生することになり、被告朝尾はその方針に従い間貸ししたもので右転貸借については予めキクの承諾を得ているのであるから原告等の主張は失当である。右転貸借の同意については被告朝尾が同居して直接管理することを条件とするような特約はなく、また被告敏晴は(一)の建物に居住して通学しており、別に管理人をおいて(一)の建物を管理させるとともに防火、防犯のため相当の注意をさせており原告等のいうように高度の失火、朽廃の危険は全くない。

また被告朝尾はキクから本訴を提起される数年前より現状と同じ状況で(一)の建物を利用しており、キクもそれを承認して賃料を受取っていたのであるから原告等主張のような理由で契約を解除することはできない。

二、請求原因について

キクが死亡した事実は認めるがその余は争う。

原告等は右キクから十分な遺産を相続しており(一)の建物の明渡を受けてこれを自ら使用する必要は全くない。原告神野は昭和四〇年三月二日の和解期日において「土地建物を売却したいと思っている」といったので被告等代理人は「被告等において相当の価格で買受けることを考えたい」と申し出たのに対して「それでは安くなる。裁判で明け渡してもらって他へ高く売りたいから」といったことからも明らかなように原告等の本訴提起の真意は被告等の借地借家を奪って本件建物とその敷地を高価に売却しようということにあることは明白であり、これが借家法にいう解約申入れの正当事由に当らないことは多言を要しない。これに対し被告等は本件家屋を必要としており、且つ永年住みなれた土地として強い愛着を持っているのである。

以上のとおりであるから原告のこの点に関する主張は失当である。

三、請求原因三について

(二)の建物は由治郎が(一)の建物の敷地内に建築したもので、被告敏晴名義に保存登記され、同被告の所有となっており、現在(一)の建物と同様他人に間貸しされていることは認めるがその余は争う。(二)の建物は、由治郎が伊三郎の承認を受けて建築したものであり、またその後今日に至るまで何十年の間何等の異議の申出もなかったのであるから(二)の建物を建築することについて明示もしくは黙示の承認があったのである。そして右(二)の建物建築の承認は借地権の設定とみるべきものであり、借地料は従来からの借家料に含めて支払っていたものである。その後、昭和八年二月一一日由治郎の死亡により被告敏晴の父西村敏夫が相続し、同二一年一二月一一日右敏夫の死亡により被告敏晴が家督相続したものである。

仮りに(二)の建物建築についての伊三郎の承認が土地賃借権の設定と認められないとしても、伊三郎が由治郎に対し由治郎の(一)の建物の賃借権に伴う土地使用権限の行使として(二)の建物を建築所有することを認めたものであり、その土地の使用権限は(一)の建物の賃借権とともに被告朝尾に承継され、(二)の建物の所有権は被告敏晴に承継されたが、伊三郎は黙示的にその承継を容認していたのである。従って被告敏晴は被告朝尾の(一)の建物の賃借権に伴う敷地使用権限にもとづき(二)の建物敷地を使用しているのである。

(証拠関係)≪省略≫

理由

一、≪証拠省略≫によると別紙物件目録(一)記載の建物は泥町にあった遊廓が桜新地に移った際同業者組合(枚方桜新地遊廓組合)がその新地内に貸座敷として建築されたうちの一戸であって被告朝尾の義父由治郎はその建物を借りて「大よし」という屋号で廓営業をするようになったこと、その後由治郎は右組合から(一)の建物とその敷地の売却について交渉を受けたが由治郎は買受けることを断ったので、キクの養父伊三郎は右土地建物を買受けたこと、そしてその後由治郎その妻ふた、被告朝尾と順次右建物を伊三郎(昭和二三年伊三郎死亡後はその相続人キク)から賃借して廓営業を営んできたのであるが、昭和三三年三月頃売春防止法の施行に伴いその営業を廃止するようになったこと((一)の建物において由治郎、ふた、被告朝尾が順次廓営業を営んできたのであるが売春防止法の施行に伴い営業を廃止したことは当事者間に争がない)が認められ、他に右認定に反する証拠がない。なお被告等は、由治郎は(一)の建物とその敷地の代金として花代の中から一割を前記組合に積立て、その額は右土地建物価格の半額に達していたのであるからその所有権の二分の一は被告敏晴のものであると主張するが、その主張事実を認め得る証拠はない。

二、被告朝尾が昭和三三年頃から(一)の建物の間貸しをはじめたこと、その後被告朝尾は長男被告敏晴とともに大阪市南区上汐町に転出し、被告朝尾は同所において旅館を経営していることは当事者間に争がない。

ところで被告等は被告朝尾が(一)の建物を無条件で他に間貸しすることについて原告等の被相続人キクの承諾を得ていると主張するのに対し、原告等は被告朝尾が(一)の建物を直接管理しながら余剰の部屋を他に貸すことを黙認したのであって、被告朝尾が右建物に全く居住しないで右建物を他に転貸することを認めた事実はなく、被告朝尾の転貸行為は賃貸借契約に反するものであり、賃貸借契約の解除事由に該当すると主張するので検討する。

≪証拠省略≫を綜合すると桜新地には約三〇軒の遊廓が軒を並べていたところ、各業者は売春防止法の施行に伴い転業を迫られ、同業者組合において協議した結果従来の貸座敷を利用して大学生を対象とした学生下宿業に転業しようということになったのであるが、従来のいわゆる赤線地域ということも影響して成功しなかったのでそれぞれ間貸しをはじめ、被告朝尾も被告敏晴とともに(一)の建物(部屋数は七つある)の一部に居住してその残部と(二)の建物を四、五世帯の者に間貸しするようになりこれを原告等の被相続人キクも承認していたこと、その後間もなく被告朝尾は近くの自己所有家屋に移転し更に昭和三四年四月頃自己所有家屋を他に売却して大阪市南区上汐町に被告敏晴とともに転居して同所において旅館業を営み、(一)の建物には姪の訴外大沼早百合を入居させて同訴外人に(一)(二)の建物の管理(間貸料の集金、建物内外の掃除、防火、防犯等)をさせていたのであるが、同三六年八月頃右訴外大沼の夫が転勤したことから右建物の管理ができなくなったので訴外大沼早百合の代りに訴外山口ヤヱを(一)の建物に入居させ、間貸料金一七、五〇〇円ないし金一二、五〇〇円のうちから同訴外人に月額金一〇、〇〇〇円の手当を支払って右建物の管理に当らせ、また被告朝尾は月に何度か右建物を訪れることにして現在に至っていること、キクは前記認定のような売春防止法の施行に伴う廓営業の廃止という事情のため被告朝尾が(一)の建物を生活の手段として自由に間貸しすることについて格別条件を付することなく承諾したのであるが、被告朝尾が右建物から他に転出してしまうことを予想していなかったこと、右建物の間貸人等は、附近の建物の間借人と同様炊事場で共同炊事をしているのであるが、賃借人が直接建物を管理せず、その管理を管理人に委せているため、失火の危険が大きいとか建物の朽廃を早めている事情の見当らないこと(証人山口ヤヱの証言によると間借人の一人がガスこんろに鍋をかけたまま外出し米飯を黒焦げにし、訴外山口ヤヱがガスを消したことは認められるが、原告等の主張する間借人が電灯の安全装置に銅線を使用していたという事実は認定することはできない)等の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

そこで右事実関係のもとにおいて被告朝尾が(一)の建物を他人に間貸しして右建物から転出し、建物の管理を管理人に管理させたことが前記賃貸借契約を解除し得る事由になるかどうかについて考えてみるに、建物賃貸人として賃借人に間貸しを許容する場合に賃借人がその建物内に居住して建物の管理に当ることを期待しているものであることは一応首肯し得るところであるけれども、前記認定のような特殊な事情のもとで原告の被相続人キクが被告朝尾に間貸しを許容したのであり、被告朝尾は管理人を置いて自己が賃借家屋に居住している場合と同じ程度の注意を払って右建物を管理しているのであるから附近の借家人が間貸しするについて直接管理し、管理人に管理を委せている者がないとしても、被告朝尾が右建物から他に転居したことをもって被告朝尾に右賃貸借契約を解除し得るに足る背信行為があったものということができない。

そうすると右賃貸借契約解除を前提とする原告の主張は失当である。

三、次に原告等は原告等には右賃貸借契約を解約し得るに足る正当事由が存する旨主張するのでこの点について検討する。

原告等の被相続人キクは昭和三八年九月一八日に死亡したことは当事者間に争がなく≪証拠省略≫によると原告等がその遺産を相続したことが認められ≪証拠省略≫によると、原告等はキクの死亡後は現住所において二人で生活しているのであるが、相当額の遺産を相続し、(≪証拠省略≫によると昭和三八年度の固定資産税額が金一二三、三〇〇円であることからも相当額の遺産を相続したことが認められる)(一)の建物を含む七軒の家屋(うち一軒はアパート)を所有し、その家賃(間貸し代、アパートの部屋代等)合計月額金六〇、〇〇〇円位の収入で生計を立てていること、原告等は昭和三五年度分からの固定資産税約八〇、〇〇〇円を滞納しているほか、他にも滞納している公課のあること、原告等は被告朝尾から(一)の建物の返還を受けて直接間貸しする等の方法により利益をはかる意図を持っているが、さし迫った自己使用の必要性のないこと、(原告神野澄子は(一)の建物に原告井沢美智子を入居させたい旨述べているが、生活状況からみてその必要があるかどうかは疑わしい)が認められ、また≪証拠省略≫によると被告朝尾は現在大阪市内に居住して旅館を経営しているが、(一)(二)の建物には営業用什器を入れており将来右建物に入居する意図をもっていることが認められ、他に右認定に反する証拠がない。ところで、一般に居住家屋を他人に転貸した場合には建物使用の必要がなくなったものとして賃貸人に正当事由の存することが肯認し得るのであるが、本件の場合においては従来廓営業の貸座敷として使用されていた営業用建物を、売春防止法の施行に伴い間貸用の建物に転用し、原告の被相続人キクがこれを承認したのであるから被告朝尾が(一)の建物を間貸ししたことをもって被告朝尾に建物使用の必要がなくなったとはいえず、また被告朝尾が間貸料から管理人に管理料を支払い、家賃を差引くと赤字になるようなことがあるのに対し、原告等が右建物の返還を受けて直接間貸し等をすれば相当の収益を得られることが見込まれるとしてもそのことをもって直ちに原告等に賃貸借契約を解約し得る正当な事由があるものとはいえない。

そうすると原告等の正当事由にもとづく賃貸借契約の解約を前提とする請求は失当なことが明らかである。

四、次に(二)の建物は(一)の建物の敷地内に由治郎(昭和八年二月二日死亡)が建築したもので、これを被告敏晴の父西村敏夫が、次いで被告敏晴が家督相続し、現在被告敏晴名義に所有権移転登記のなされていることは当事者間に争がなく、右建物の敷地は原告等の所有であることは先に認定したとおりであり、また弁論の全趣旨によると由治郎が(二)の建物を建築して以来約二〇年間(一)の建物の賃貸人伊三郎、同キクにおいてその事実を知りながら格別賃借人に対し異議を述べることなく、賃料を受領してきたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

右事実から右(二)の建物敷地の利用関係について考えてみるに、伊三郎としては(二)の建物について借地権を設定する意思はなく、ただ(一)の建物賃貸借契約にもとづく敷地使用として右(二)の建物の建築を黙認したものであることが推認される。そして右(一)の建物の賃借権は由次郎からふたに、次いで被告朝尾に承継され、一方(一)の建物の所有権は由次郎から敏夫に、更に被告敏晴に家督相続したことは当事者間に争のないことは先に認定したとおりであるが、前記認定の(一)の建物の賃借権、(二)の建物の所有権承継の経過および各関係者の身分関係ならびに弁論の全趣旨によると、伊三郎が被告朝尾との間の(一)の建物の賃貸契約にもとづく敷地使用権能の範囲内にあるものとして被告敏晴が右(二)の建物を所有するため、その敷地を使用することを黙示的に承認したものと認められるので被告敏晴は原告等と被告朝尾間の(一)の建物の賃貸借契約にもとずく敷地使用権限の行使として(二)の建物敷地を利用し得るものと解せられる。

そうすると、原告等の被告敏晴に対する(二)の建物収去並びにその敷地の明渡を求める請求は失当である。

五、以上認定のとおりであるから原告等の被告等に対する本訴請求はすべて失当なものとして棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 長谷喜仁)

<以下省略>

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